ニュースを見ていてふと目を止めたのは、先日亡くなった工業デザイナー・栄久庵憲司さんの訃報についての海外の記事でした。
栄久庵氏の死去が海外で報じられたことに、うらやましいという思いを隠せなかった。韓国政府は2000年代後半から「韓国料理のグローバル化」「デザイン韓流」を叫んでいるが、韓国のコチュジャン(唐辛子みそ)容器のデザイナーが亡くなっても海外で報じられることはない。そもそも、報じることができないのだ。
諸外国事情はともかく、この記事は面白い。
「栄久庵憲司(えくあん けんじ)」という人物について、日本といても、業界以外の日本人だと知らない人が多そうですけど、キッコーマンの「卓上醤油差し」の容器をデザインした人で、日本が誇るワールドクラスのインダストリアル・デザイナーです。
当時は工業デザイナーというジャンルは確立されておらず、現代でもですがデザインという仕事の概念が理解されていないため、それを認知させるために多大な努力をしたそうです。日本のデザイナーの草分け的存在ですね。
和食という日本文化を外国に定着させたのは、アイテムとしての「卓上しょうゆ差し」だったのかもしれない。
海外に出るようになって、日本食レストランには、これみよがしに、この容器が置かれているのも目にします。
日本というブランドを現すアイコンになっているのですよね。
ニューヨーク近代美術館(MoMA)にも展示され、日本の和食を代表するものとして世界に発信されています。
今でこそ当たり前になってしまっていてセンセーショナルさが伝わらないのですが、当時は中身の見えるガラス容器という発想や差し口の角度を逆にしてしまうという設計は、驚きを与える「気づき」でした。
栄久庵憲司さんがデザイナーを目指すきっかけが広島の原爆で、モノが壊れた廃墟の中に立った時というのが、モノを見る視点のはじまりとなったという話は、デザイナーのはじまりの物語として、よく語り継がれていることだと思います。
モノ不足で、周囲が苦しむ姿を見て、なんとかしたいという衝動が、栄久庵さんの創作への原動力に繋がっているのだと思います。
■榮久庵憲司 – Wikipedia
僕はしょうゆ差しを見ると、誰かが「絶対に液だれしない醤油差しが欲しい」と神妙に言っていた言葉を思い出します。
いろんなデザイナーが、いろんな工夫をしているのですけど、小皿に差した醤油が瓶の注ぎ口から垂れてしまうという物理法則の方が勝るんですよね。回避不能な不幸な未来。
液だれは、マジで手ごわいです。ゴキブリ同様、この世から抹殺できない憎むべき物理現象、いや社会現象なのです!
デザインというのは、問題解決の物語。
誰かが困っていることに耳を傾け、観察し、優しく手を差し伸べる ── のではなく貶されながらも強引に問題と格闘し続ける。
デザイナーにはそんな壮絶な人生と、地獄絵図がつきものです。
同じ日本人が作った醤油差しでは、以下のようなものもあります。
■G型しょうゆさし|森正洋
http://yasukawa.hamazo.tv/e1728853.html
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