16年間

週末に父親から電話あって、飼っている犬が死んだ、と。
急いで家に戻って触ってみると、まだ温かい。
近くに寄るといつも上体を起こすのだけど、その時は動かなかったので気づいたらしい。
犬って死ぬ刹那に「ワン」って吠えるって本当みたいですね。
ありがとう、みたいな言葉なのかもしれないけど。
老衰はじまってからは、ほとんど吠えなかったらしいのですが、突然鳴いたので両親も空耳かと思ったとのことでした。
家にきて16年。
すごい長生きしたほうだと思う。
最後の方は歩けなくなって、1ヶ月前から寝たきりになってたのでそろそろかと思ってたけど。
毎朝、やつれてく顔をのぞきこむたびに辛かった。
おばあちゃん死んだ時、こんな気持ちだったっけ?
小さい時、スピッツを飼ってた。
そのスピッツが死んだ時、父親は「もう犬は飼わない」と言った。
そんなことを忘れはじめた20年後、たまたま寄ってしまったペットショップで、頑だった父親が一目惚れしてしまって。奇しくも同じ小さくて白いスピッツだった。
鎖もつけず、家の中で自由に動き回れるようにした。犬専用のエアコンまで付いた。
僕は小学生の時から部活と補修で夜遅く帰る生活で、まともに両親と会話したことなかった。
進路さえも全部自分で決めて、相談したこともなければ成績表すら親に見せたことない。
でも僕の部屋にいる子犬の顔を家族がのぞきに何回かきたり、昼間の様子を話すようになったりして、家族の会話は増えた。
父親がそんな優しい人だと知らなかったし、母親がしつけに厳しい人だと知らなかった。
いろいろ知らなさすぎた。
死というのがすごく遠い存在のようで、実は生のすぐ隣り合わせにあることとか。
日曜の朝、火葬場に連れていってお別れした。
グラム数で値段が決まってるらしくて、千円もしなかった。
受付で書類に記入して、焼却炉の前で棺代わりに入れた箱を渡して終わり。10分もかからない。
お墓はあるの、と聞いたら1日に80体もくるから、とくにそういうの無いし灰も遺骨もない、とのこと。
みんな次の新しいペットに代役を求めるから、過去は過去なんだろか。
一緒いた父親が「最初の犬の時はお墓なかったけど、今回は欲しいのか(2匹にランク付けをするのか)」ということを聞いてきたので、僕は黙った。
帰り道で父親が「思い出そうとしてるけど、思い出が何もない」とだけ言った。
毎日、16年間、散歩して世話して、一緒に寝て。それだけを繰り返して。
もう16年間経ってた。
その間、僕は家にも帰らないで仕事してた。
もう夜中に帰って真っ暗闇の中で、白い絨毯と一体化した尻尾を踏まないように気をつける必要が無い。
油断するとフローリングにたまる毛玉をモップで掃除する必要も無い。
虚しさと後悔みたいなのに自分が支配されてるのは、自分が不完全だからなんだと思う。
もっとちゃんとしてたら、ちゃんとできてるから後悔とかなかったはず。
今、自分の中で新しいことをしようしているから、人を紹介してもらおうと友人との待ち合わせ場所に行ったら
「ひどい顔」
と言われた。
自分自身は見えない。
自分で自分のことがどんどん分からなくなる。

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