すり抜けられる隙間

一本の橋がある。
体重 80kg の者には「渡れない」と知覚される。
体重 60kg の者には「渡れる」と知覚される。
「渡れる」「渡れない」は人間個人の頭の中だけに主観として生まれる情報なのだけれど、実際に「情報」として存在するのは、人間でなく、橋という環境の方。
じゃぁ情報は橋の方に実在しているわけなのだから、体重 60kg で今まで「渡れる」と知覚していた者が 80kg に太ったら、どうなるか。
ボーダーラインを越えた瞬間に、「渡れない」と知覚することになるわけではない。
渡れていた橋が急に、「渡れない」と見えることはない。
だから情報は、押し付けられるものではなく、知覚者が「発見し」「獲得する」もの。
そして経験やスキルにも依存する。
「すり抜けられる隙間」
「登れる段差」
「掴むことのできる距離」
環境は潜在的な【海】であり、僕たちはそこに価値を発見し続けている。
結局、自分自身の能力での環境との交渉が必要ということ。
自分が元気だろうが疲れていようが、飛び込んで不可を試すか、前もって念入りに調査探索するしかない。
でもこれは、
橋を「渡るもの」、
隙間を「通り抜けられるもの」、
・・・という意味を見出すか見出さないかというところに帰結すると思うのだ。
 
 

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