メメント・モリに想う

多くの商業デザインに従事する人は「より良いデザイン」を求め、ヴィジュアル的に優れたものを世に生み出そうとしているわけですが。
タイの煙草の話。
タイではタバコの陳列販売は法律で禁止されているので、パッケージの方向性がビジネスとは思えないデザインになっているのは有名です。


タイのタバコのパッケージ
↑これはマイルドセブン
日本の少しでも格好良くして売れるようにする商売根性とは全然違い、健康を害する物というイメージを前面に押し出すためにエグい写真を使ったりしています。
こんなん日本で売ったら、あまりのパッケージのカッコ悪さにオシャレだと思って吸ってるギャル達は一切吸わなくなると思うけど。
タイでは文化の違いもあって、殺人事件のニュースでは死体が平気で放送されたり、殺人犯がミイラにされて博物館に展示されたりするらしいし。
でもリアルな身体の一部、写真の臓器というものは、「本当にあって」「いつ自分がそうなるのか分からない」「死は誰にでも等しい」と哲学的な意味をもって、感情を喚起させることができて。
作り手にとっては「かっこいい」「きれい」と創り上げる芸術性とは、また逆の難しさを感じるものですね。
僕もユーザビリティーか何かの試験の質疑で「使い勝手のよいものを考えて答えて」なら分かるんだけど、
 「一番使いにくいと思われる物を考えて」
とあった時は、試験を考えたやつを呪おうかと思った。
 
 
ちなみに、僕の答えは、
 
「普通のパソコン」

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