日本にはエネルギーになるような「天然資源」がなく、だからこそ「頭脳的資源」である技術が発展しました。
繊細さ、緻密、丁寧な仕事。
日本の工業製品を語ればそんな言葉が出てきます。
日本という国の、細部にこだわるところ、古くからの文化的な美意識は、世界各国の中でもテイストとは違う異質のディティールを持っています。
日本では、世界に名だたる自動車メーカーが、数多くあります。
これは不思議。
外国の有名な自動車メーカーの名前をあげていくと、同じ国のメーカーの名前はそんなに出てこない。
でも日本だと、数社の名前が簡単に出てきてしまう。
そもそも海に囲まれ、山岳地帯の多い日本という国で、走破性能の低い「車輪」という駆動系の移動手段がなぜここまで発達したのかというのが、とても不思議に思います。
キャタピラ(クローラー)の発明は、理論的な人間の叡智だったとは思うけど。
この無限軌道の、完成された美しさときたら・・・。
現代の車のようなデザインが生まれたのは、人類の「スピードに対する欲望」が起因しています。
ほとんどの移動手段の製品において、人間はスピードに対する憧れを形にしてきました。
効率的な仕事上の移動時間短縮ではなく。
獣のように獲物を捕らえるためでもなく。
シンプルで単純なスピードへの憧れ──。
そんな憧れが、流線型のボディのデザインに表現されています。
あ、流線型じゃないのものあるか。
もし、人類がエンジンより先に「空を飛ぶ翼」のようなものを開発していたら、現代の車に相当する乗り物は、いかに翼をデザインするかになっていたでしょうね。
そんな感じに、デザインには理由があり、本質があります。
車には「こうやって移動したい」。そんな欲望を形にするデザインがあるわけで。
ただ、世界は人間に対して甘く囁きだしていて。
今度は、移動を『快適にするために』長時間座っても疲れないシート、握りやすいハンドル、見やすく分かりやすいメーター類など、いかにネガティブな要素を無くし、有意義な時間を過ごすことができ、事故や怪我を無くすかという方向性にもなっています。
時代が変わったというより、スピードの向こう側を知ることになった人類が、新たな刺激と価値観を求めて、まだ見ぬ快適性を求め始めるといったところにシフトしているというところでしょうか。
ただそんな風に価値観が変わっても、車のビジュアルはあんまり変わりません。
変わらない方がいいのか、変わってしまったらおかしくて受け入れられないのか。
過去の偉人の延長でもカッコイイかもだけど。
このあたりで、両方の特性を併せ持つような活かしたデザインも、そろそろ見てみたいですね。
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