現代は、なんでもインターネット検索で手に入る時代。
Google での検索はもちろんのこと、Wikipedia などから無料で情報が手に入るような、とても便利な世の中です。
でも、便利ではあるけれど、少しつまらないというか。
僕が小さい頃は、子供の教育のために一家に必ず「百科事典」があるのが普通でした。
百科事典はその名の通り、世の中のあらゆる事象を整理・分類し、これを部門別やアルファベット順・五十音順などに配列し、解説を記した書物のこと。
分厚い辞書のようなものが1科目で1冊、それが複数あるので、値段も数十万します。
昔のサラリーでこれを揃えるのは、家計的にもとても大変なのですが、どこの家庭も子供のためにもと買い揃えるようです。
この百科事典は訪問販売という売り方が主で、金額が大きいので訪問セールスマンが爆発的に増えたこともあったようです。
いまなら「NTTからのお安い回線のご案内」みたいな営業電話がやたらかかってくる人も多いと思うのですが、まさにそんな感じだと思います。
ウチにも、百科事典ありました。
引っ越し準備中に、本棚まるごと百科事典という立派なものを見つけたのですが、子供の頃に読んだ記憶が無いです。
たぶん知識欲とスキルアップやチャレンジというのは、本質的に違うからなのか。
子供の頃は、全く興味がありませんでした。
大人になり、自分で働いてモノが購入できるようになった頃。
パソコンでなんでも作れることが分かり、インターネットで情報発信が面白くなった時期。
僕は、とある CD-ROM にハマりました。
それが、「マイクロソフト エンカルタ(Encarta)」。
正式名称「Microsoftエンカルタ総合大百科」。あのマイクロソフトが製作・販売していた電子百科事典です。
このエンカルタ、ただの百科事典のソフト版というものではありません。
百科事典では目次から探していたのが、キーボードで打ち込むだけで簡単に検索、しかもそれだけではなく。
例えば小鳥を検索したとします。
画面には美しい小鳥の写真画像が大きく映し出され。
生息地が世界地図で、さっと表示。
スピーカーのアイコンをクリックすると、鳴き声まで聞くことができます。
辞典では為しえなかった、マルチメディアでの表現。
今でこそ普通なのですが、当時の僕らは興奮しました。
活字だけでは無く、あらゆる感覚を刺激するワクワク感。
面白かった。
ただの情報ではなく、体験に近い情報の取得。そこには、未来がありました。
僕は毎晩時間も忘れてクリックを続け、まだ知らない未知の土地・未知の事象に感嘆し、感動に震え、そして知ることを喜びました。
テキストが、画像が。
コンテンツとなりうることを知り、それが面白いと感じた瞬間だと思います。
あの頃はインターネットもパソコンも。何もかも面白かった。
エンカルタは毎年改訂版が発売されたのですが、発売されるたびに進化していきます。
巨大な地球儀が表示され、そこから立体的に今世界でなにが起こっているのかの表示。
ついには、アップデート機能を搭載し、過去の歴史だけではなく最新の世界事情まで反映されるようになったり。
当時の僕には決して安い買い物では無かったのですが、僕は毎年新しいエンカルタが発売されるのをワクワクと待ち、発売されればその技術に唸り、人類のすべてがつまったストーリーに没頭したものでした。
マイクロソフトの目のつけどころは良かったと思います。
一家に1つ百科事典があるなら、いち早くその市場に入りシェアをキープする。
しかし思惑が外れたところは、こんなにも早くインターネットの技術が進み、人々が無料で検索するこをが当たり前だと思い、さらに無料で Wiki を運営する輩が現れてしまったというところでしょうか。
マイクロソフトは百科事典事業を諦め、撤退。
エンカルタは発売されることがなくなり、僕のお財布にも平穏が訪れました。
今では、あらゆる技術の先を行くのが Google のような印象があり、実際 Google アース などでエンカルタで実装されていたものを全てエッジを効かせて実現させているのですが。
僕にとってのマイクロソフトのイメージは、やはり Google や Apple の先を行くメーカーのイメージです。
だってエンカルタで目にしているから、Google のプロダクトで驚きや面白いと思ったモノを見たことがないもの。
考えてみれば、子供の頃に百科事典を見る気がしなかったのも、必要性よりも興味をひけなかったのかなぁ、と。
単純に合理的で堅実な活字の情報では無く、もっと冒険じみた追体験があればよかったんじゃないかなと今更ながら思っています。
どう魅せるか、どう技術を積み上げるか。
それだけで、データは生き生きと輝いてくるものなのですね。
■エンカルタ – Wikipedia
■百科事典 – Wikipedia
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