中村勇吾さんの「アップルのデザインに対する違和感」

中村勇吾さんが Apple の iPhone を Twitter でディスってる、と聞いて注目。
■中村勇吾さんの「アップルのデザインに対する違和感」 – Togetter まとめ
http://togetter.com/li/251604

要するにプロダクトとインターフェースの意匠の方向性が全く逆なわけだが、この矛盾こそが「ただのグッドデザイン」に終わらない、面白さの源泉だという見方がある。一方で、「デザインの首尾一貫性」という面ではなんか気持ち悪いという見方もある。俺はずっと「気色悪っ!」って思ってる。(Twitter 上の つぶやきより)

有名人が思い切った発言するなぁ、とも思うんだけど、いろいろ考えさせられる。
工業製品としての iPhone の美しさは間違いないわけで、そこに搭載されるソフト側のユーザーインターフェースの問題なんだろか。

実物もってないんで公式サイトへ見にいって確認。
確かに立体感や材質感を多用するっていうのは、Apple 社の十八番だと思うのですが、今まであんまり気持ち悪いと思ってみていなかったので意外でした。
でも言われてみたら、確かに外側と内側が統一されていない。
そんでライバルだといえる Windows Phone の方も確認してみる。

おー、確かにミニマルデザインになってる。
デザインに首尾一貫性がある。
この2D感は、Apple とは真逆ですよね。
ちなみにテテルの UI も、フラットデザイン採用してますね。
(まぁ僕の作風の反映なんですけど)
Apple 製品は有無をいわさず Good Design 、みたいな空気もあるし、エクスペリエンスこそが商品価値、みたいな考え方もあるからか、使い勝手について言及されることはないけど、電話としては非常に使いづらく、インターフェイスは使いやすい、という一般的な言われ方をしてて。
でももしこれがフラットなデザインだったら、iPhone は商品として売れなかったような予感はする。
予感っていうのは、たぶん世の中の風評が「シンプルすぎるよね」的な、そういう方向に向かったんじゃないかなーという感じというか。たぶん iPhone 以前では、ミニマルデザインやシンプルに対するイメージが確立されていなかったようにも思うし。
あと物が売れない時代と言いつつ、求められているものは cool なもので「使いやすい」はそのまま購買意欲には結びつかないから、Apple のデザイン戦略としては成功なんではなかろうか。画面内 UI にまで素材感もってきても仕方ないし。
そういえば Apple 製品はポリやアルミニウムなんかの「素材感」を忠実に起こした結果が iMac の大ヒットに繋がったと思うし、Aqua インターフェースの成功も、当時の筐体との共通イメージだったような。あの時の Mac は本当に楽しかった(ミニマルではなかった)。
シンメトリーが気持ち悪いか気持ち良いのかというのが感覚的な好き嫌いで決まるように、デザインにおいても「統一性」「共通性」っていうのは、そんなに注視することではないってことなんだろか。
というか、本体むき出しで使ってる人少ないから、「質感」もどうかと思えてきたけど・・・。ケースの方に注力というか商品展開すべきなんだろか。
結局、「好き嫌い」で考えて、2D よりリッチの方が「売れる」ほど好きな人が多い、みたいな数の結論で。
そして本体を含めてユーザーインターフェースは極限まで簡潔にシンプルで、なんだけどコンテンツだけはリッチな仮想空間が広がり、使いにくいんだけどとにかくつきあってると楽しくて毎日が充実、的なイメージがこれからも売れ続ける商品イメージな気がする。
例えば? 「しつけのなってない子犬」もしくは「ツンデレ」ですかね。
iPhone が売れる世の中(市場)って、本当に難しいな。
とりあえずスキルの低さを補うべく、「この絵の良さが分からない」とまで言われるモンドリアンのコンポジション絵画にでも浸っておこう・・・。
ピエト・モンドリアン – Wikipedia

ちなみに中村勇吾さんは、Apple が嫌いなわけじゃなく、この件での怨嗟によるものらしい。

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