デザイン・ハッキングという考え方で、ハートをクラック


その昔、インターネット料金が従量制じゃなかった時代。
比較的回線が使われない深夜から早朝にかけて料金が一定になリ繋ぎ放題になる「テレホーダイ」というサービスがあり、ネット好きはその時間に群がるように繋ぎ、オンラインの世界に夢中になったものでした。
当時は、アプリやブラウザなどは存在せず、ゲームチャットと掲示板が全盛期の時代。
世界中のあらゆる国の人種が1つの板に集まるため会話は英語中心。
僕もドイツ語やフランス語の辞書を買い込んで、ひたすら画面の文字を追い、キーボードを叩きました。
お互いに会話が成立するようにシンプルな文法を心がけたりと、変な話ですが、実際に対面する以上に人情と優しさに満ち溢れたインターネットだったりしました。
そして今の時代。
日本人は日本語のサイトしか閲覧しないそうです。
インターネット人口が増え、規模が大きくなった途端に近づいたはずの世界との距離が遠くなっていくというのは、すごく皮肉な話。


インターネットは、日本国内で日本語で完結するもの。英語コンテンツならば「誰かがいつか翻訳してくれる」そんな雰囲気さえ漂います。
それはさておき、そんなインターネット黎明期、僕は何故か日本人を毛嫌いする外国人とよく出会い、非常に焦燥してました。
彼らはひとりよがりで揚げ足取りばかりするので、僕は言葉使いに非常に気を付けなくてはならず、この頃から、外国人のことを「ガイジン」という言葉を使わず「ガイコクジン」と言ったりとか、とにかく気を付けてました。
彼らは一様に「ガイジン」という言葉が嫌いで、「外人(ガイジン)」という言葉は直訳で「人では無い」という意味になり馬鹿にしていて、そんな言葉を平気で使う人の気が知れない、ということでした。
本来は外国人を表す「foreigner」という言葉も、「よそ者」的なニュアンスで失礼になるそうですね。
確かに自分が言われたときのことを考えると残念な気持ちになります。
またブログに書こうと思うのですが、そんな外国人たちとのギスギスした人間らしい関わり合いもあったり(リアルに死人が出たりも)したのですが、ある時、仲間のひとりが掲示板に晒されたことがあり。
たまたま知り合った人がネットワーク技術者なのかプログラマかなにかだった居たため、相談したことがありました。
変な正義感なのか優しさなのか、「可能なら」晒された人の名前をその巨大掲示板から消してあげたい、と。
その技術者は何故赤の他人の名前を消してあげたいのか、と聞いてきたのですが。
僕も何故そう思ったのかよく分からなかったのですが、「可能なら」という言葉通り、たぶん不可能だと思っていたからそんな相談をしたのかなと思います。
実際には。
ものの数分で、その掲示板はクラックされ、パスワードが僕のもとにメールで送られてきました。
実際にログインすると普通に編集画面が表示されます。
びっくりです。
ドラマみたいに。
ほんの3分も経過せずにハッキングするとか、リアルにある話なんですね!
で、今でも覚えているのですけど、そのパスワードに添えられた言葉。
晒された名前を消してあげるのが、正しい選択とは限らない
その技術者が言うには、いったんアウトプットされ晒された名前は既にみんな認識してしまった後だから、戻せない。
もう、記憶は消せない。
下手に消して、なんで消えたんだと改めて騒ぎになるよりは、なるべく触れずにしてあげた方が沈静化する、逆に消したいと思うなら不備のあったところを謝罪するくらいしないと駄目、とのことで、今にして思えば、炎上の対処法として既にできあがった理論で、これもびっくりします。
僕は、実行力であるパスワードを握ったまま悩みに悩み、結局なにもせずに終息しました。
昔話はそれで終わりなのですが、気になるのはハッキング方法です。
これができれば、情報化社会の中でやりたい放題じゃないですか。
で、教えてもらった中で目から鱗というか、目の前が開けた感じがしたのは、スキルとかではなくアプローチの仕方。
(やり方は、当時の僕のスキルでは全く理解できませんでした)
ハッキングって、ツールとスキルと知識みたいな超絶技術みたいなことを漠然と思っていたのですが、全然違いました。
ずっと「プログラムやサーバーの仕組みを勉強していった技術の頂、神に近い領域にある」「裏技術を駆使したハッキングツールがある」というイメージだったのですが、もう全然違います。
映画のハッキングのシーンとか、全然、嘘じゃん。
単純に、問題から答えを出すまでのアプローチの仕方なんですね。
核心に触れずに、どう説明するかが迷い処なのですが・・・。
例えば、4桁の数字がパスワードだとしたら、10,000通りのパターンの組み合わせと通常は考えるのですが。
実は、もっと簡単に絞り込めるので、だから「数分で」ハックできるのですよ。
難しい問題を解いているのではなく、予想解答数を減らしていった上での最適なひとつを見つける問題解決なんですね。
この考え方は、デザインにも流用できて、すごく説明に便利。
プロに関わった経験が少ない初心者などは不思議に「デザイナーごっこ」をしたがる人が多くて、配色はこうだの、レイアウトはこうしないとダサいだの、聞いてて「…なんで?」となってしまうような赤面しそうなセリフを語る人が多く、絡みづらいのですが。
その、それっぽいセリフの内容は「自分の好み」なだけの、的外れな「答え」です。
「クライアントの描くベストなイメージ」が解へのパスワードだとするなら、クライアントへのヒアリングやフィールドワークが無い限り、そこに制作時間内に到達する可能性はゼロに近いのです。クライアントの入っていないところで自分の趣味を押し付ける最悪のパターン。
作って終わりの結果の出ない成果物・評価されない人の大半は、この勘違いのはずです。
たぶんシステム開発などもそんな感じじゃないでしょうか。知らんけど。
デザインという問題解決をするには、クライアントの問題に勇敢に立ち向かうことが重要。
どこかの別業種の見た目やビジュアルを「インスパイア」という名のコピーをしてきただけでは、仕事は終わりますが問題は解決しません。
セキュリティの虚をつくハッキングに関わらず、異分野での多彩なアプローチ方法はデザインの本質を考える上での勉強になるものですね。いろいろ知ること。いろいろな体験って本当に重要ですね。

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