周りでも物議を醸し出している「Windows8 という新しい UI にスタートボタンが必要か否か」問題。
次の新しいバージョンの Windows にはスタートボタンが復活するという噂も有力で、新しいインターフェイスに世間がついてこれなかったという現実が浮き彫りになりつつあります。
なぜ旧バージョンでは全く見向きもされなかったスタートボタンが、最新バージョンで急に存在が消えたことにより、ここまで大きな波紋をよぶのでしょうか。
その心理について、考えてみる。
僕の所持する1世代前のパソコン「Macbook」と、最近購入したスマートフォン「Xperia Z」のスクロール操作の仕方は逆方向で、最初はよく混乱しました。
この場合、古くから慣れ親しんだ Mac の方の操作に合わせる人が圧倒的に多いそうです。
たぶん、昔から触っていて慣れた操作方法を「正しい」と認定するからだと思います。
(ちなみに僕は、新しく購入したスマートフォンの操作の仕方の方に合わせて Mac の方をカスタマイズしました)
この変化を恐れて古い方の操作方法に合わせようとする人が、Windows にスタートボタンが必要になる心理だと思います。
(と、いいつつ、僕も業務上新しい UI を研究したくて新しい UI に合わせているだけなのかなぁとも思います)
ペンが変わると、なんだかうまく書けない。
車のシートの位置を変えると気になって運転しづらい。
サッカーシューズを変えたら、ボールタッチに違和感を感じる。
新しい店に入りづらくて、馴染みの店に行った。
どれもよくわかる心理です。
なので、行動やブログを見れば、誰がどっちのタイプなのか教えてくれなくても分かります。
世の中には望む望まないに関わらず、いろんな変化があります。
Windows は世間に「1家に1台 PC 時代」を確立させて便利にし、iPhone は電話機を小型情報端末に変えて、外出先での情報発信・情報取得するという時代に変えました。
デザインや新技術は、人の生活を変える。
人は便利な生活への変貌を望み、進化したがるのだけれど、同時に変化を恐れている。
旧と新を結びつけるインターフェースは重要で、この相反する心理はとても厄介。
今までなんとなくスタートボタンを押していた人が、スタートボタンを押さずに業務をやろうとして、新しく覚えるのが面倒くさいとなるのは分かる話。
そしてそもそも、デスクトップ用としての Windows8 は成功だったかという疑問はあります。
モバイル用の Metro UI をデスクトップにも採用する意味はあったのか?
タッチパッド(トラックパッド)を主体とするノートPCならまだしも、マウスを多用するデスクトップ PC での使い勝手が同じになるとは思えない。
そういう意味では、もっとデスクトップに(マウス&キーボードに)特化した UI を突き詰めて考えるべきではなかったのかなぁと思う。
そんなわけで、次期 Windows というのがどんな形で出てくるのか非常に興味がある。
今のコントロールパネル周りには提案型・ウィザード型での親切なインターフェイスが搭載されており、使い慣れた人にはうざいけれども、初心者には使い勝手が良い。
Apple がシンプルに機能をそぎ落としていこうとしているのに対し、Microsoft は高機能で複雑な設定をパーソナリティに合わせてどう適切にカスタマイズするかを考えていると思う。
スタートボタンの有無を受け入れる受け入れないかは、個人の自由。
メーカーは進化した使いやすさのために必要が無いと提案し、ユーザーは結果的に新しい提案に尻込みした。
実は Metro のスタート画面はスタートボタンを押した時と同じものが、より大きなアイコンで並んでいます。
それをそう伝えきれなかった見た目、デザインが問題だったのか。
Microsoft は安直にスタートボタンを復活させるのではなく、ユーザーに伝えきれなかったメッセージの部分を作り直して、再構築・再設計したものを見せてほしいと思う。
少なくとも、僕だったらそんな苦労しそうで面白い仕事は意地をはってでも作りたい。
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