なぜ人は電気が必要な生活を自ら望みながら、いざ電気が無くなれば他人のせいにしたのか


浜松の大規模停電も、日曜にはほとんどの地域の復旧が終わったそうですね。
災害に対しての意識がだいぶ変わった今回の停電ですが、それと同時に人間の本性のようなものも垣間見え、少し人を見る目も変わりました。
「文句を付けないと自分の地域は後回しにされる」など妙な噂もあり、マンパワーが欲しいはずの中電はトラブル対応に奔走したとも聞きます。
まぁ数日も電気が無い生活が続けばヒステリックになることも分かりますが・・・。


そして、電気がなくなった時のために発電機を用意していた人に対して、なんの準備もないままいますぐこの地域から復旧しろとクレームを入れる人。
道を挟んだ向こう側は電気が来ているのに何で自分の地域はまだなんだ、いますぐ対応しろとクレームを入れる人。
どういう対応が正解だったのかと、考えさせられました。
隣が電気がついているのが不公平なのなら、いっそ全家屋の対応が済むまで全地域に電気を回さない方が良かったのか。連帯責任みたいな方が停電格差がなかったのか。
そんなことはなく、困っている人が多いのだから復旧した地域から順次対応していくというやり方でベストだったように思います。それ以外に正解があったのか。
すぐそこにあると思っていた電気がある、電気が無い。
この隣り合わせの状況をある程度想定し、自分の身を守りつつ他者にやさしく。
上手な立ち回りをしたいところですね。

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